卑弥呼(ひみこ)といえば邪馬台国の女王として有名です。

魏志倭人伝に登場する事で、実在の人物とされています。

 

しかし、「魏の王様(曹操の孫らしいです)に金印をもらった」以外には情報がありません。

そのため、謎の女王という事になっています。

一説によると、神の声を聞いて国を治めためっちゃすごい人と言われています。

 

また、邪馬台国がどこにあったのか?も謎で、「奈良説」と「九州説」が争っています。

卑弥呼のお墓は奈良県桜井市の箸墓古墳?

これまで、卑弥呼のお墓は奈良県桜井市の箸墓(はしはか)古墳であると言われて来ました。

日本一古い神社である大神神社(おおみわじんじゃ)の近くにあります。

正式には倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)の墓で、「倭迹迹日百襲姫命=卑弥呼」という同一人物説になぞらえて卑弥呼の墓とされていますが。

 

筆者も行ったことがありますが、あんまり「卑弥呼感」無かったですんですよね〜。

謎すぎるので霊能者に頼るしか無い

いくら昔の本をあさっても、魏志倭人伝の「卑弥呼さんが金印をもらいに来たよ」以外に情報はありません。

もともと日本は文字を持たない国だったので、百済から漢字が伝来して初めて『古事記』が編纂される以前の資料は全く無いのです。

だとするならば、この目で見るしか過去を知る方法はありません。

 

ということで、2007年ぐらいに月刊ムーという雑誌がアメリカのFBI超能力捜査官のジョー・マクモニーグルさんに協力してもらい、卑弥呼を霊視してもらったそうです。

すると、とんでもない事がわかりました。

 

参考:月刊ムー

卑弥呼のお墓は山口県にあった!

なんと卑弥呼のお墓は山口県長門市の豊田湖にありました!

現在、安徳天皇西市御稜墓といわれている場所がそうです。

卑弥呼は冬は山口に住んで、夏になると奈良に住んだそうです。

つまり今話題の「二拠点居住」。

古代から二拠点居住はあったんですね。

安徳天皇稜はいろんなところにあるからあり得る

安徳天皇陵が卑弥呼のお墓になっちゃったら、安徳天皇のお墓が無くなっちゃうじゃないか!

かわいそうだ!

 

た、たしかに…

 

8歳という若さでこの世を去った安徳天皇。

そんなかわいそうな安徳天皇からお墓を取ったら、確かにかわいそう!

 

卑弥呼さん、ごめんなさい。

安徳天皇にお墓をゆずってあげてください。

 

という心配はご無用!

 

安徳天皇のお墓は実はいろんなところにあって、どれがホンモノかもめてるんです!

ですので、一箇所ぐらい、「実は卑弥呼さんのお墓でした。」ってなっても大丈夫なんです!

 

怒るとすれば、「ここが安徳天皇のお墓だ」ってめっちゃ主張してる学者さんがいれば怒るかもしれません。

しかも、卑弥呼は山口出身だった

マクモニーグルさんの霊視によれば、沖縄から渡ってきた南方民族(縄文系?)が山口に居住して村を作っていました。

卑弥呼はその部族で生まれたそうです。

そして、その部族の名前が「ヤマト」だったそうです。

驚きですよね。

卑弥呼はこんな顔だった

マクモニーグルさんが書いた卑弥呼さんの似顔絵がこちら。

画像:月刊ムーより引用

うん!

山口県民だ!

 

とりあえず奈良じゃない。

知らんけど。

 

卑弥呼と言えば、弥生系のキツネ顔として描かれますが、実際には山口顔だったんですね〜。

 

結論:邪馬台国は山口にあった

今までいくら探しても邪馬台国が見つからない理由がわかりました。

探す場所が違うかったからです。

 

豊田湖の辺りを発掘したらいろいろ出てきたりして?

今度、散策に行ってこよっかな〜。

邪馬台国を発見したら、やまつー有名になれるそ?

元ネタ記事はコチラ

今回の元ネタ記事はコチラです。

月刊ムー

本もあるよ

邪馬台国発見―FBI超能力捜査官ジョー・マクモニーグルのサイキック考古学